『自発的な教会』       使徒行伝11:19〜30

 エルサレム教会への迫害によって、ある人々はアンテオケまで散らされて行きました(19)。そこで彼らが伝道すると、大ぜいの人々が救われ(20,21)、アンテオケ教会が誕生しました。このアンテオケ教会には、どのような特色があったかを見てみましょう。

T.最初にクリスチャンと呼ばれた教会
 迫害によって散らされた人々はアンテオケに行き、そこで逃げ隠れしていたのではありません。彼らはユダヤ人、ギリシヤ人、そして異邦人に御言を語りました。彼らは指導者の指示に従って伝道したのではありません。いわゆる信徒が「自発的」に伝道したのです。その結果、信じる人が多く起こされました(21)。彼らは、迫害で躓いてもタダでは起き上がりません。アンテオケで開拓伝道して教会が建て上げられたのです。そして彼らは、異教社会の人々から「クリスチャン」と呼ばれるようになりました(26)。これは「キリストスに属する者」の意です。当初、嘲笑を交え、小馬鹿にした、あだ名であったようですが、後に尊敬を交えて用いられるようになりました。クリスチャンは、この世から選び出されて救われ、キリストに属する者とされ、キリストに全てを依存する者たちを指す呼び名です。私たちも、人々から「あの人はクリスチャンだ」と知られる存在となり、そのように呼ばれることを光栄と思い、誇りとし、証しをなし続けてゆきたいと思うのです。

U.分に応じて援助した教会
 アンテオケ教会は、今やエルサレム教会をしのぐほどの勢いで成長していました。そんな時、飢饉に遭ってエルサレム教会も被害を受けました。そこでアンテオケ教会は、自分たちの親教会の窮状を覚えて経済的に援助しようという話しになりました。しかし、開拓して1年の日の浅い教会です(26)。けれども愛と慰めとに満ちたバルナバによって指導されたアンテオケ教会は、「それぞれの力に応じて…援助を送ることに決めた」(29)のです。1ヨハネ3:18,使徒行伝20:35参照。アンテオケ教会は、エルサレム教会を通して与えられてきた霊の祝福に対して、今、救援物資という形で、母教会に感謝と愛を表そうとしたのです。援助は「それぞれの力に応じて」献げるものです。つまり「自発的」に献げられるもので、会費とは異なります。全ての人が力に応じて、強制や義務ではなく、喜びと感謝をもって献げるのです。

アンテオケ教会の特色の1つは「自発的」です。彼らは自発的に伝道して、多くの人々が救われ、世の人々からクリスチャンと呼ばれるようになりました。また困難を覚える母教会に対して自発的に援助して感謝を表しました。私たちも援助や献げものだけではなく、礼拝や奉仕、何事に対しても自発的であることが大切です。パウロは、『あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている』(ピレモン1:14)と言いました。この願いは神も同じです。嫌々ではなく、自発的になされる行為に対して、神は幾重にも祝福されるお方です。

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